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撮るもの撮らされるもの

映像・写真には「撮るもの」と「撮らされるもの」がある。 前者は自分が撮りたいという意志を持って撮るもので、自我とのせめぎ合いになる。後者は何かに導かれ、撮らされてしまうもので、無我の境地にある。何に導かれているのか、と問われれば、大いなるものとしか答えようがない。それは時に神であり、宇宙である。 そういった見えないものを全く信じなかった(そしてなぜか敬遠していた)自分が変わったのは、…
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