Category BlogPosted on 10月 10, 202110月 10, 2021撮るもの撮らされるもの 映像・写真には「撮るもの」と「撮らされるもの」がある。 前者は自分が撮りたいという意志を持って撮るもので、自我とのせめぎ合いになる。後者は何かに導かれ、撮らされてしまうもので、無我の境地にある。何に導かれているのか、と問われれば、大いなるものとしか答えようがない。それは時に神であり、宇宙である。 そういった見えないものを全く信じなかった(そしてなぜか敬遠していた)自分が変わったのは、…